■こたクタ騒動記■ |
ようこそ、[ こたクタ騒動記 ]へ!! はじめまして。 これは、我が家の愛猫、『こたろう』の全力疾走の毎日の生活を、皆様にちょこっとだけ覗いてもらおうと思い、 企画したページです。どうぞ、私たちのかわいい猫(ちょっと、親バカ)を見てください。 タイトルの『こたクタ・・・』とは、いったいなんなんだろう・・・?と、お思いになった事でしょうが、これは、 『こたろうクタクタ(疲れて、クタクタの意)』ということです。 毎日毎日、ドタドタ・バタバタしている様は、精一杯短い生命を生き抜いているようです。 小さい彼女に、教えられる事もたくさんあります。 「どうぞ、いつまでも、いつまでも一緒に・・・」と、願わずにはいられません。 ____________________________________________ ■ 忘れられない彼女のこと ■ 『こたろう』を紹介する前に、ぜひ知ってもらいたい、彼女のことを書きます。 私達は、ここ長野に移り住む前に、鹿児島県の南へ536キロ、奄美諸島の中の 「沖永良部島」に住んでいました。そこで、知り合いの方から、譲って貰ったのが、 シャム猫でした。そして、なぜか女の子なのに、[けんしろう]と呼ばれていました。 そうです、ちょうどあの『北斗の拳』が大流行(?)していた時期に生まれたのです。 でも、今更、違う名前も思いつかず、そのまま[けんしろう]になりました。が、 彼女はすごかった。名前のとおり、強い気性の荒い猫でした。 ある時、犬とケンカして、追い詰められて、犬の毛を束にして、むしり取る、荒業を 披露したり、武勇伝は数々・・・。 1992年、彼女は私達と共に飛行機に乗り、電車を乗り継ぎ、長野にやってきました。 それから、10年、2001年の夏に彼女は風邪をひき、寝てばかりいました。老体に、夏の暑さはとても厳しく、 風邪に気付かない私達は、単なる『夏バテ』だと思っていました。 いつまでも体力の回復のない彼女を病院に連れていった時には、もう遅く、寒くなり始めた10月16日、 彼女の大好きなコタツの温かい中で、彼女は17年という長い生涯を終えたのでした。 私達が彼女を思い出す時には、涙が頬を伝わらないことはありません。パソコンの待ち受け画面にいる彼女は、 いつでも元気そうです。 電源を入れれば、いつでも彼女に逢えるのですから・・・。 お泊り頂いたお客様が、今でも「あの、シャム猫どうしました?」と尋ねて下さると、まだ覚えていてくれた事にうれしく、 そして、彼女が生きていた証のように思えてくるのです。 __________________________________________________ ■ 『こたろう』登場!! ■ 『けんしろう』がいなくなってから、彼女がいつも座っていた場所を探したり、コタツの中を覗いたりして、 ふと我に返ることが多くなりました。そんな時、襲ってくる寂しさ・・・。辛い毎日が過ぎました。 野にいる迷い猫を何度も捕まえようとした事もありました。 それから、一ヶ月後、ワインでお世話になっている山梨県の【養老酒造】さんのお嬢さんから、 「新聞の『赤電話』(どうやらそんなコーナーがあるらしい)で、「猫あげます」という投稿があって、 電話をしたら、なんと5倍の競争率で、猫がもらえることになったから!!」との連絡。 車で、山梨まですっ飛んでいくと、子猫がお母さん猫に甘えています。生まれてから、3ヶ月で、 4匹生まれた中の(オス2、メス2)の最後のメスの子でした。アメリカンショートヘアーと灰色の毛の長い 猫(チンチラかしら?)とのミックスらしい・・・。模様はアメショーで、毛の長さはちょっと長い・・・。 アメリカンロングヘアーみたいだ。 でも、つぶらな瞳はとてもかわいい・・・。 これが、初めての出逢いでした。 チビちゃんなので、『こたろう』になりました。 女の子なのに、ちょっとかわいそうかしら・・・? 以下、続く・・・。 【トップページへ】 【次のページヘ 】 |